九十日革命
出典: 機動戦士ガンダムSEED Revival
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目次 |
[編集] 概略
CE78年1月25日に宇宙軍第二艦隊が叛乱を起こしたことに東ユーラシアのクーデター組織が呼応して決起したことに発する約90日間における大規模叛乱戦争。 革命戦争とも呼ばれ、両陣営や民間人合わせて300万人以上もの人々が犠牲となった統一地球圏連合発足以来最大規模の戦争である。
最終的に、クーデター組織がモスクワに設立した革命政権が4月15日にモスクワ陥落と共に倒れ、その後9日間で組織のスポンサーと思われる経済人などが逮捕されたことで終結を迎えた。
だが、終戦直前の戦闘で、数少ないものの有力な残存戦闘部隊や要人が脱出に成功したとの情報もあり、それらの組織は現時点でも世界のどこかで再び革命を企てていると思われる。
[編集] 軍団構成
組織は有力な戦闘部隊を有していた。 これらは総称して革命軍と呼ばれるが、具体的には3つに分けられていた。
・革命陸軍(地上の制圧、防衛を行う)
・革命海軍(統一連合軍の輸送路破壊を行う)
・革命空軍(制空権奪取、防衛を行う)
さらにこれらを総括する統合作戦司令部がおかれ、その総司令は当時組織のリーダーであったアルベルト=ウルド=メルダースが政権設立の際の元首と兼ねる。 それを補佐するのが参謀長の役割を持つミハエル=ペッテンコーファーであり、それらと各軍の将軍クラスが協議を行い、作戦方針が決められる。 この軍団はどれも非常に統制が取れており、反統一連合とのスローガンのもとで結束していた。
[編集] クーデター組織決起に至る経緯
CE74年5月におけるメサイア攻防戦でのプラント評議会議長ギルバート=デュランダルの戦死、そしてその直後のクライン派クーデターにより、世界はそれまでの様相が一転し、世界はそれまで中立主義を掲げていたオーブ連合首長国、さらに細かく言えば、ラクス=クラインの手によって主導されることになった。
プラントはその後にオーブに併合され、国家としての主権は消滅し、単なるオーブ領プラントという地位に甘んじることになる。 だがこのとき、「ザフトのために」という大儀と誇りを持ってそれまで戦ってきたザフト兵の多くは、混乱が生じていたとはいえプラント本土の多くを破壊し、300万以上のも人々を死に至らしめたロード=ジブリールを匿ったオーブによって支配されることに個人に意識の差こそあれ、反感を抱くことになった。 (セイラン家の独断であるとの公式な説明はされていたが、オーブが匿ったことに変わりは無いのである)
ザフトはプラント併合と共に解体され、ある者は民間人に戻り、ある者は新生オーブ軍に生活のために入隊し、またある者はプラントを去った。
この後、世界はラクス=クラインの掲げた世界の恒久平和へと、突き進むかに見えた。
だが、統一地球圏連合による政治は事実上の独裁であり、その傾いた親オーブ国家群などの事実上の身内への投資と権力を固めるための軍拡は、オーブと親密ではなかった国家を次々と衰退させることとなった。
ユーラシア連邦も、その内の一つであった。
当時ユーラシアは内戦によってガタガタであった。
第二次汎地球圏大戦中におけるロゴス主導のデストロイを使用した西ユーラシア侵攻に事を発する東西政府の対立は、国民を巻き込んだ内戦へと発展したからであった。
(このことについては東ユーラシア共和国独立宣言の項に詳しく記載されている)
この内戦はオーブが介入したことにより終結するのだが、ユーラシアは東西に分断され、西はオーブ領、東は事実上は親オーブ政権国家として独立することになった。 しかし、このとき東西の政府間の対立こそ激しいものがあったが、市民の意識はそれほど激しいものではなかった。むしろ東西両方の市民に共通した、いわばナショナリズム的な怒りが高ぶっていく。
この背景には、西ユーラシア侵攻において多大な犠牲を払ったにも関わらず、東西の分裂を許した東ユーラシア共和国現政権への不満。また東西分裂によって家族や友人と隔離されたりするケースが多数に上った事。 そして分裂に最も影響した軍事介入を行い、西ユーラシア傀儡政府を立てて実質西ユーラシアを支配したオーブ。すなわち統一地球圏連合政府への不満や怒りがあった。
内戦とその後の傾いた投資による衰退、そして経済混乱による物資の高騰、不足はその不満にさらに拍車をかけることとなった。
こうした不満を好機と捉え、一気に勢力を拡大したのが当時反統一地球圏連合組織の一つであり、その西ユーラシア最大の反抗組織であったローゼンクロイツであった。
もともと統一地球圏連合政府への抵抗を続けていた彼らは、この機に周辺組織を吸収し、急速に勢力を拡大。
と同時に、彼らの元からの目標であった「ユーラシア完全独立国民主権国家の再興」を果たすべく、行動を開始した。
彼らが最初に行ったのは、統一地球圏連合政府への不満を持っていた東西の政府高官や経済人、そして正規軍部隊への組織参加への呼びかけ、いわゆるオルグであった。
彼らは巧妙に説得と交渉を続け、半年後には軍属や治安関係者を中心に多数の要人や正規軍部隊の参加を実現させる。
元軍属や西ユーラシア侵攻失敗で身内を失ったの議員や役人などもこれに加わる。
そして、CE75年10月12日、ローゼンクロイツを主導とする組織は極秘裏にクーデター組織を結成し、決起の準備を始める。
組織のリーダーには当時ローゼンクロイツリーダーだったアルベルト=ウルド=メルダースが就任した。
取り込んだ正規軍や政府要人などが中心となり、革命軍が組織され、同時に後の革命政権の母体となった指導部が制定される。 彼らは今度は一般の市民層にも決起参加の呼びかけを極秘裏にではあるが行い始めた。 その行動はしばらくして現地の警察によって察知され、政府高官に報告されるが、その高官自体相当数の者がクーデター組織に参加しており、握り潰される。 結果これらの情報は統一地球圏連合には送られなかった。
さらに、軍事的な準備も着々と進められる。 東ユーラシア共和国議会に潜伏したクーデター賛同議員達の発議によって防衛予算が増額。 地元振興の公共事業名目で、ユーラシア中央部にある都市ヴロツワフを中心とする地域には巨大な兵器生産工場群が急ピッチで建設される。 また新型兵器の開発などを行う兵器開発工廠がキエフに置かれ、それらの施設は半年後には統一連合政府の監視の目をやり過ごすべく一般向けの工業製品製造メーカーとしながらも稼動を始めた。
これら工場は実際にジープやダンプカーを始めユーラシア復興に必要とされる重工業製品も生産されたが、それらも有事の際には輸送車や軍事建設器具としての使用が想定されていた。 ヴロツワフ地域の工場群はヨーロッパゼネラルインダストリー、キエフの工廠はキエフメカノインダストリーと名づけられ、それぞれ隠密裏に自らの役目を果たし始めた。
また、決起の際に重要な拠点になると思われる所には、巧みに真の目的を隠蔽しながらも軍事目的の施設が次々と建設されていく。 モスクワには防衛の要であるイージスタワー、ミンスクには巨大な航空基地群、ビリニュスには陸海空全ての兵員を養成する兵学校、ワルシャワには主戦場になると思われる西部戦線に物資を送るための巨大な補給廠、ワルシャワ東方の都市ピンスクには降下作戦防止のための防空型迎撃施設、モスクワ東方のプリヴォルガ高地にいたっては、北から南に至るまで長大な防衛要塞群:通称サランスクラインが建設されていく。
驚くべき事に、これらは全て東ユーラシア共和国正規軍のものとして作られていた事だ。 計画そのものは第二次汎地球圏大戦当時に凍結されていたものなのだが、ここでも失業者対策の公共事業として復活。 建造に至ったのだ。
つまりクーデター賛同者は議会のみならず陸軍、海軍、空軍の上層部にも深く浸透していたのである。 これらは普段は国家予算を平然と使う正規軍としてありながらも、決起の際には命令系統を変えクーデター軍に衣替えするという、極めて巧妙な組織編制をしていたのであった。 こうして彼らは、来るべき決起のために力を蓄えていく。
その一方、同時期に宇宙でも決起の芽がすくすくと育っていた。
プラント併合に反感を持った旧ザフト兵のうち、特にオーブやラクス=クライン、カガリ=ユラ=アスハに対しての不満、憎しみが強い者達が極秘裏に叛乱組織を結成。
これに賛同する反クライン派ともいうべき人々は、プラント駐留軍の高官にも存在し、彼らはプラントに駐留していた宇宙軍第二艦隊に、叛乱組織の人材を集める。
いずれも配置転換という名目だった。
これは宇宙軍第二艦隊の中にはプラント出身者が多く含まれていたためだが、そうした措置を抜きにしても参加するものが相次いだ事は、特筆しなければならないだろう。 そして誰にも知られず、こちらでも順調に計画が進んでいく。
そうした両者の代表がCE77年10月20日に、当時極秘裏に各地の反統一地球圏連合組織を支援していたアメノミハシラのコロニー「イザナギ」で秘密会談を開く。
会談といっても、偽名を使って借りたカジノホテルの一室での軽食パーティに偽装するという非常に巧妙なもので、「イザナギ」が治安警察の警戒網が薄い場所だった事を考慮しても、極めて慎重な行動だった事が伺える。
そこで締結された内容は次のものであった。
・宇宙軍第二艦隊の叛乱はCE78年1月25日
・地上クーデター組織決起はCE78年1月30日
・宇宙軍(第二艦隊)は統一連合軍の輸送路妨害及び降下輸送阻止を行う
・地上軍(クーデター組織)はユーラシア一帯を制圧した後に宇宙軍を支援する
・どちらかが壊滅した場合には、生き残った方がその敗残兵を保護、吸収する
こうして両者は互いに連携をとる事を確認、そしてついに決起の具体的な日にちが決められたのである。
そして明くるCE78年1月25日、当初の予定通り宇宙軍第二艦隊がプラントにて叛乱を起こした。叛乱軍は当時ようやく再建された宇宙要塞ヤキン・ドゥーウェに駐留していた宇宙軍第三艦隊を奇襲攻撃で撃破。
ヤキン・ドゥーウェを陥落させたのち、各輸送路を遮断し、さらに統一連合軍月基地へ侵攻する構えをも見せた。
この決起を重く見た統一地球圏連合政府は地上の戦力を宇宙へ増派することを決定し、多数の精鋭オーブ軍及び親オーブ国家の軍が宇宙へと上げられた。
これこそがクーデター組織の狙いであった。 精鋭部隊が留守の隙を狙い1月30日、モスクワ、ヴォルゴグラード、ビリニュス、キエフ、ミンスク、ベルリン、ワルシャワの各都市に分散配備されていたクーデター組織軍の大軍が一斉に決起した。 この計画は当日まで統一連合軍に察知されていなかったため、決起は大成功に終わった。 その日まで味方と疑っていなかった東ユーラシア共和国軍の突然の豹変であった。 これにより統一連合軍は完全に裏をかかれた形になり、まとまった行動が取れなくなる。対してクーデター組織軍は準備万端で士気旺盛、また統制も取れており、孤立・残存する統一連合軍を各個撃破していった。各都市は数日後には完全に陥落し、2月3日にモスクワに革命政権を樹立したのである。
[編集] 事後調略の失敗
東ユーラシア共和国現政権首脳達は首都モスクワの脱出を余儀なくされ、後にパリに臨時政府を立てた。しかしそれはしょせん名ばかりのもので何の実効性も影響力も無いのは誰の目にも明らかだった。
かくして革命政権を樹立した組織軍は革命軍として、周辺の諸領土を次々と奪取し、一週間後の2月10日にはユーラシア中央部一帯をほぼ手中に治めた。
革命軍の主力部隊は東ユーラシア共和国軍の首都防衛師団や国境師団などモスクワからベルリンにかけて配置されていた精鋭部隊が叛乱したもので、この決起により東ユーラシアから西ユーラシアにかけての地域は、一瞬にして統一地球圏連合の戦力空白地になった。革命軍の侵攻はまさに無人の荒野を行くがごとくであったという。
この後の革命政権の方針は、一時的であれ統一地球圏連合政府と休戦協定を結ぶことであった。
この地域における支配を認めさせる事と、戦場を宇宙に限定させる事で事態の収拾を早期に付けやすくするためだった。 長期戦になれば統一地球圏連合の方に圧倒的に分がある。 その前に全ての決着をつける必要があった。 当時宇宙軍第二艦隊は予想以上に暴れまわっており、統一連合軍もこれには手を焼いていた。 とても二正面作戦を十分に行える余裕はなかったのだ。 一方、革命政権は休戦協定を結んだ後も、宇宙に増援を送るために準備を着々と進めていた。
主席カガリ=ユラ=アスハは不利な現状を考慮し周辺の反対を押し切って、休戦協定を結ぶ事を決意。かくて調印式を迎えることとなった。 いったん体制を立て直す事を最優先にカガリは考えていたのである。 一方の革命軍も中央ユーラシア支配を既成事実化し、宇宙での戦いにケリがつき次第、タイミングを見計らって統一地球圏連合への参加を表明する予定だった。
だが調印式の2日前の2月13日、当時東ユーラシア共和国臨時政府が置かれたパリを視察していたアスハ家の重臣4人が、革命軍のアルシオーネ(革命軍開発のMS)爆撃隊の爆撃に巻き込まれて命を落とすという事件が発生。 そのことに愕然としたカガリは激怒。協定調印を即座に中止した。 同時に統一地球圏連合を構成する全国家に革命政権討伐を命じたのである。 このことは戦争が泥濘化し、犠牲者を増やす一因となった。
[編集] 戦局の推移
革命政権が樹立された2月3日時点で、革命軍は当初に軍が配備されていた主要8都市を中心としたユーラシア中央部一帯をほぼ占領するに至った。
2月8日時点で西はベルリンから東はヴォルゴグラードまでに至るラインとその周辺地域を革命軍は占領に成功した。 これには革命政権を支持していた大多数の市民の協力もあった。
この時点で、統一連合軍主力は宇宙に出払っており、また地上のユーラシア防衛にあたった西ユーラシア自治領駐留軍も窮地に立たされていた。まさにユーラシア全土を占領する好機であった。 しかしこの時点で革命政権首脳は当初の方針通り統一地球圏連合政府と一時的にではあるが休戦協定を結ぶ方向であったため、2月9日に休戦協定の申し入れが行われ、同時に各地の軍部隊も空軍を除き進撃を停止した。
だが、ここで連絡ミスによるアクシデントが起きる。 パリの統一連合軍西ユーラシア方面司令部を爆撃しようとしたアルシオーネ隊の航路がずれ、誤って市街地に多数の爆弾が落下した。 さらにこの時、たまたま東ユーラシア共和国の臨時政府首脳、ならびにがパリ市民を慰問視察していたアスハ家重臣4人が、爆撃に巻き込まれて死亡する。 このことは休戦協定締結に前向きだったカガリ=ユラ=アスハを激怒させる結果となり、休戦協定は締結間近のところで跳ね除けられることになった。 同時にカガリは統一地球圏連合軍に全軍出動を命令。最高議会も全会一致でこれに賛同した。 ここに革命政権と統一地球圏連合は全面戦争に突入したのである。 2月13日のことである。
この3日後の2月16日には、早くもスカンジナビア王国陸軍3個師団が戦場に到着。それを皮切りに、その後も大西洋連邦、南アメリカ合衆国、北アフリカ共同体、南アフリカ統一機構など、続々と各国家の軍が西ユーラシアに上陸し、統一連合軍勢力圏へと送られる。 オーブ本国でも残っていた可能な限りの部隊がかき集められ、西ユーラシアへと送られることになる。
このとき、両軍共に主戦場は西ユーラシアであるとの認識があった。 それは東方面は冬将軍真っ只中であり、軍が駐留するのには適していなかったからである。 革命軍もまた、東における進軍を止めてサランスクラインに篭り、その一方で西の各戦線に部隊を増派する。
2月17日、この戦争の第一のターニングポイントが発生する。 反乱を起こした宇宙軍第二艦隊がムウ=ラ=フラガ大将率いる統一連合宇宙軍第一、第四連合艦隊との決戦に敗れ壊滅したのだ。 この結果、残された戦場は地上だけになり、宇宙軍のユーラシア戦線投入が可能となった。 翌日には早くも月にいたMS隊200機が空軍部隊として西ユーラシア戦線へと送られる。 これらの部隊は統一連合軍の正規軍でもかなりの精鋭部隊であり、早速展開した統一連合軍前線基地ハノーファーに押し寄せた革命空軍の爆撃隊を撃退している。 これは戦争開戦以来革命軍最初の敗北であった。 (壊滅した第二艦隊の敗残兵は地上に降り立ち、革命空軍第17航空師団として戦闘を続行することになる)
この後1週間のうちに各地の統一連合軍部隊が続々と西ユーラシアに集結。
また宇宙に出払っていた精鋭部隊も呼び戻される。
刻一刻と統一連合軍の反攻体勢が整っていく。
そして2月27日、この戦争の戦局を一気にひっくり返す戦闘が勃発する。 ハノーファーに集結していた統一連合軍部隊を潰し、戦局をより有利に進めるために西部戦線に展開していた革命軍部隊の7割がハンブルクからハノーファーに向け発進した。 だが、その攻勢を予期していた統一連合軍はハンブルク西の都市ブレーメンから大軍を出撃させ、ハノーファーに展開する部隊との間で挟み撃ちにする作戦にである。 作戦は大成功し、挟撃された革命軍部隊は成す術もなく壊滅し、統一連合軍の大勝利に終わった。
この戦闘における大敗は、革命軍にすればそれまで優位に進めてきた戦局をひっくり返される痛恨事だった。 これまで革命軍の西部戦線を支えてきた精鋭部隊の大半が一日にして姿を消し、慢性的な兵力不足に陥ったからである。 (この後終戦まで革命軍は兵力不足に悩まされることになる) 西部戦線はすぐに縮小されることが決定し、革命軍は守勢に回ることになる。 一方ハノーファー戦での損害が予想外に軽微だった統一連合軍は2日後には早くも進攻作戦「オペレーション=ピースオブユーラシア」を発動し、初期の目標をベルリンと想定してその大軍で突進作戦を開始する。
3月3日、兵力不足が改善されていない革命軍の防衛線を次々と突破した統一連合軍部隊はついに革命軍の西側最大拠点だったベルリンに押し寄せた。 3日にわたる激戦の末、革命軍部隊は壊滅し、ベルリンは統一連合軍によって奪還される。
この機を境に、革命軍は敗北への道をたどっていく。 3月7日には革命軍の工業生産の7割近くを担っていたヴロツワフ地方が統一連合軍MS隊の大爆撃によって生産能力を奪われ、翌8日にはベルリンを素通りして進軍していた統一連合軍2個師団がヴロツワフ中心部に突入し、陥落する。 工業生産の中心地を奪われた革命軍の敗北は、ここに決定的となった。
3月12日にはそれまで抵抗を続けてきたプラハとブダペストが陥落し、翌13日にはワルシャワまでもが陥落した。
さらにこの日、統一連合軍がそれまで敵地への降下作戦を行えなかった最大要因であったピンスクの防空迎撃施設が破壊され、統一連合軍の降下作戦が可能となった。
(これもまた戦争終結を早める要因となる)
そして3月16日、それまで均衡状態が続いていた東部戦線に、統一連合軍のMS隊と陸軍の大部隊が降下作戦によって投入されサランスクラインに取り付き、ただでさえ兵力不足の革命軍は戦線として挟撃されて兵力分散を余儀なくされる。 (サランスクラインはこの後しばらく抵抗を続けることになる)
3月18日、革命海軍の艦隊を破った統一連合軍艦隊の大輸送船団がサンクト=ペテルブルグに揚陸作戦を敢行し、東西戦線へ兵力を抽出されて弱体化していた革命軍防衛隊は難なく粉砕され、陥落する。
このことは、キエフ=ミンスク=ビリニュスを線とした革命軍防衛線の裏を突く形となり、モスクワ防衛が俄かに深刻化することとなった。
3月23日、兵力を整えた統一連合軍の大軍がキエフ、ミンスク、ビリニュスに向けて同時に発進する。 翌24日には各都市に到達し、革命軍の防衛部隊との間で激戦を繰り広げる。 ビリニュスとミンスクは何とか持ちこたえるが、統一連合軍の主力が投入されたキエフはわずか1日で陥ち、革命軍の防衛ラインはまたもや突破される。 このとき各都市において、一般市民からなる市民突撃隊が組織され、わずかな武器を持って侵攻して来る統一連合軍の戦車や陸上MSに対して突撃を行った。 まともな武器すらないにも関わらず命を捨ててまで抵抗する彼らに、その突撃を目の当たりにした統一連合軍の兵士達は恐怖した。 これらの一般市民による突撃は、この後も各所で見られる。 統一連合軍による投稿勧告も行われたが、度重なる地獄のような苦難に疲れきっていたユーラシア市民にとってこの戦争はかつての繁栄を取り戻す好機であり、絶対に戦争に負けたくないとの市民の総意であった。
だが、その一方で統一連合軍部隊は着々と進軍を続け、27日にはミンスクが、翌28日にはビリニュスと東部の拠点ヴォルゴグラードが陥落する。 特にヴォルゴグラード陥落は、サランスクラインの崩壊を意味しており、それは東部においてもモスクワへの道が開かれたことを意味していた。 さらに、翌29日、黒海クリム半島への上陸作戦が行われた。 革命軍の将官や工作員たちがコーカサス地方を経て各所へ逃亡しようとするための路を遮断するためであり、作戦は概ね成功したかに見えた。 だが一瞬の隙を突かれ、旗艦であった空母ラハブが革命空軍の攻撃隊に攻撃され、大破した。 (ラハブはその後対空装備がさらに増強され、難攻不落の不沈艦となる) このときラハブには統一連合主席カガリ=ユラ=アスハが乗艦していたが、不幸中の幸いにも命に別状はなかった。 (この戦闘については、革命軍がカガリを殺し、統一連合軍を互解させようとしたとも言われる) 揚陸作戦は成功し、革命軍の外国への逃亡路は完全に遮断された。
4月2日、それまでの戦局が絶望的になったことを悟った革命軍は、この戦争における最後の大攻勢を開始する。 モスクワに展開していた革命軍の残存師団が迫る統一連合軍の、オーブ軍部隊を集中攻撃し、それに呼応してサランスクの部隊を始めとする各軍が行動を開始し、統一連合軍の攻囲を打ち破って東方シベリアへと脱出して再起を図るというものであった。 この戦闘に先立ち、未だ革命政権の勢力圏であった各都市の住民に、備蓄されていた食糧が手渡される。 簡単な保存食など10日分であった。 この作戦には、かなりの数の一般市民も参加し、軍と共にシベリア方面へと脱出することになっていた。 市民所有のトラックやジーブなども、とにかく動ける車両は全て動員されている。 モスクワに待機していた革命軍の残存軍団が一斉に西から迫る統一連合軍の、オーブ軍部隊に向け大攻勢を開始。 と同時にサランスクらに展開していた各軍も呼応し、包囲している統一連合軍部隊へ向けて全力を振り絞った突撃を敢行する。 いずれも、広大な東ユーラシアへと脱出して、次の機会を待つという趣旨であった。
この戦闘は9日間続き、戦闘に参加した革命軍部隊と一般市民は相当数が戦死または捕虜となるが、それでもいくらかの部隊と市民が脱出に成功し、彼らはシベリア方面へと姿をくらましていった。 その中には革命軍の参謀長だったミハエル=ペッテンコーファーも含まれているとの情報がある。
そして4月13日、軍や市民のほとんどがいなくなり抜け殻となったように静かなモスクワに対して、統一連合軍の総攻撃が開始される。 既に大半の部隊が姿を消していたモスクワはほとんど無抵抗であり、唯一イージスタワーのみが意地を見せ、押し寄せる統一連合軍部隊に対してかなりの損害を与えるが、それも動員されたピースガーディアンのウノ小隊によって破壊され、15日には中枢部が占領され、ここに革命戦争は終戦を迎えた。
降伏などの諸作業は一切無い、異様な終戦であった。
[編集] 革命後日
終戦翌日から治安警察や統一連合軍による捜査が始まったが、革命の主導メンバーの一人であるミハエル=ペッテンコーファーや、少数とはいえ歴戦の部隊を取り逃がす結果となり、300万以上もの犠牲だけが虚しく残った結末となった。 戦争終結後9日以内に、革命軍最後の大攻勢に参加せずにモスクワ近辺にしていた組織のスポンサーらが摘発され、正式に4月24日、統一地球圏連合政府は終結宣言をするが、まだ叛乱の火種はしぶとく残っており、予断を許さない状況にある。
この戦争は、ただでさえ疲弊していたユーラシア、特に経済地域の大半が戦場と化した東ユーラシア共和国にとって痛恨事を通り越して悲痛なほどの打撃を受けたのだ。 終戦後モスクワに再び舞い戻った政府首脳を待ち受けていたのは、国政の復興と統一地球圏連合政府からの責任追及という重い課題が残る。
国力は大幅に低下したのはもちろん、特に軍事力の壊滅は痛恨事で、軍の規模は以前の70%にまで減少。 その壊滅した30%は首都防衛師団や西ユーラシア方面の国境師団など、東ユーラシア共和国にとっての精鋭部隊であり、貴重な予備兵力群でもあった。 それが全て失われ、残ったのは各地方に配備された地方方面軍だけになったのである。 戦力を回復させる財政、人員、装備などの余地もまったく無く、ベルリン~モスクワ周辺にいたる中央ユーラシアは軍事力の存在しない完全な無防備都市と化してしまったのだ。
財政の回復も、戦場とならなかったガルナハンなどの各地方に事実上の搾取といえる重税を課し、国力の回復を図っているが、かえって反発を招き思うようにいっていない。 また東ユーラシア共和国政府がもくろんでいた西ユーラシア直轄領との併合も、大きく頓挫する事になった。 独力ではもはや不可能であり、オーブからの譲歩を引き出すために、オーブ政府への浸透が最優先課題となった。
しかしこの九十日革命が残した意義は別にもあった事を記さねばならないだろう。 つまりこれまで対立し続けてきたナチュラル、コーディネイターが共通の敵に対して手を取り合い、共に戦った戦争でもあったのだ。 皮肉にも統一地球圏連合という共通の敵が生まれた事で、長年の対立が解消されたわけである。 そしてそれは同時に統一地球圏連合側にも言えたのだ。
この戦いが残したものは本編にも通じていく。
[編集] 物語における役割
残った部隊はその後、ミハエルの元で新生ローゼンクロイツを結成し、その部隊の一部はリヴァイブとの共同作戦を試みるなど、劇中に描写されると思われる。 またこの戦いで生き残ったシホ=ハーネンフース、ヨアヒム=ラドルらの部隊はリヴァイブに合流していく。
